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自分がついレスしてしまったブログ記事を「扇動」の観点から勝手にレビューしてみた

昨日、こちらのブログ記事を読んだ。

 

それで、読み終わったあと、感情が高まって、書き手の方についメッセージを送ってしまった。…と、いうことがあった。

僕は面倒くさがりなので、普段、人のブログにわざわざレスなどということはない。

にもかかわらず、昨日はこの文章を読んで、感想を送りたくなって、メッセージを送ってしまったのだ。

つまり、この文章には、僕のような面倒くさがりをも行動させてしまう力があった、ということになる。

一体その力とは何なのか?

どういうメカニズムなんだ??

それが気になって、今日はこちらのブログを「扇動」という観点から、なぜ面倒くさがりの僕がメッセージを送るまでに至ってしまったのかを考えてみたいと思う。

 

まずは冒頭で「問題定義」

まず冒頭から、重要なポイントがある。

冒頭は「今はSNSやマッチングアプリなどで人とすごく会いやすくなり、メリットが大きい反面、人と人のつながりが超薄くなるというデメリットがある」ということが書いてある。

ここは「扇動」の第一段階である「問題定義」にあたる。

マーケティング界隈でよく出てくる「PASONAの法則」も、P=Probrem(問題提起)となっており、同じ考え方。

つまり読み手の問題点を指摘している。

そう、世の中の問題点ではなく、「読み手の」問題点の指摘。

ここで重要なのは、世の中全体の問題点を指摘しているようで、実は、読み手の問題点が指摘されている。という点である。

この記事の書かれ方だと、読み手は自分の問題点が指摘されているとは気づかない。直接「あなたは周りの人とのつながりが薄くなっている」とは言われていないからだ。しかし、無意識に、自分もそういえばコミュニケーションが薄くなっていることがそういえばあるな…と考えてしまう。

つまり、間接メッセージを使って、読者自身の問題点を指摘しているのである。間接的に自分の問題点を指摘されて、読者(つまり僕)は、ちょっとドキッとしながら次を読み進めることになる。

 

扇動の超重要技術「選択肢を絞る」

そしてこの先は、そういう「ライトなコミュニケーション」や「すぐ手に入るもの」が仮想敵として、徹底的に潰されていく。いわゆる「選択肢を絞る」である。

こちらのブログのタイトルは「出会いが多い時代だからこそ深くしていくべきなんじゃなかろうか。カジュアルに人間関係終わりすぎ問題」である。だから、主張として、ライト=悪、ディープ=善。ということが全体的に書かれている。

問題点を(間接的にだが)指摘されてドキッとしている読者に対して、ライト<ディープである。という裏付けがいろんな角度からこれでもかと展開されていく。

例えば、ライトなコミュニケーションに慣れてしまって相手との関係を深くする努力をせず、レストランで一緒に食事してるのにどっちもスマホばかり見てる男女。これは違和感を覚えて共感する人も多いと思う。僕もそうだ。

 

「単純さ、明快さ、断定」

では、なぜライトなコミュニケーションだと相手との関係を深くする努力をしないのか?

それは「簡単に手に入るものは、ありがたみを感じられないからである」という明快な答え。簡単に出会いが得られてしまうから、一つ一つの出会いを大事にしようという気が起こらないのだと。

論理がとてもわかりやすい。扇動で重要な「単純さ、明快さ」である。

そして「目の前にありすぎるものには人は価値を感じにくい」ものとして、キャバ嬢の男性との出会い、ホストの女嫌い、寿司屋の焼肉好き、自身が稼ぐことへの熱量が減ってることなど(ブランディングしつつ)、具体例をたくさんあげて主張が裏付けられている。

反対に、テニスの試合や、ビジネスの経験から「簡単に手に入らないものを深めていくのは楽しい」つまり「ライト<ディープ」を改めて主張した上で、話は最初に戻り、人間関係を深める努力をするべきだ、の話へ。

 

「恐怖させる」

ここでも超重要ポイントがある。

ライトを求めて相手の優しさや今だけの需要に依存してると、それが無くなったときにしっぺ返しもあるからねと、需要の無くなった美女がおっさんに適当な扱いを受ける例で読み手に恐怖を与える。

扇動においてこれも重要な「恐怖させる」。なおかつまた間接的なメッセージを使っているから、自分に向けられたものだと読者(僕)は気づかない。

ダメ押し的に、海で遭難して無人島に流されてもし人がいたら、絶対その人大事にするでしょというわかりやすい具体例で「簡単に手に入らないものだからこそ人は価値を感じる」の主張を納得させる。

そして当たり前に会える関係であっても、深く掘ることを忘れてはならない、そこまで言って最後に締めとして、「SNSやネット上でも深く関わろう、見るだけじゃなくてリプライ・DMしてみよう、絡んでみよう」という主張で文章終了。

 

使われている扇動テクニックまとめ

以上が、「扇動」の観点から見たこちらのブログ記事の分析である。

これを読んで僕は、冒頭に言ったように、「よし!」と思って、書き手の方のXのDMに感想メッセージを送ってしまった。しかも長文(約1,000文字。笑)認めるのが恥ずかしいが、間違いなく感情が動いた結果の行動。

こうやって改めて「扇動」の観点で見てみると、さまざまなテクニックが散りばめられていることがわかる。

僕としてはただ読んでいるだけのつもりだったが、実は、

  • 最初に僕自身の問題点を指摘されてドキッとし、
  • 挙げられた具体例に共感して、
  • ライトなコミュニケーション(=読むだけ)という選択肢を削除されていき、
  • 明快な論理に納得し、
  • 恐怖させられ、

このように感情が揺さぶられた結果、レスを送ってしまったのだった。

 

パッと見、自分が扇動されているなどとは夢にも思えない。

でも、こうやって見てみると、扇動のテクニックがたくさん入っているのだった。

面倒くさがりの僕が行動してしまったのには、やはり理由がある。

 

まとめ

今回こちらのブログの文章を読んだことは、読むだけで素直な感情が湧き出てくるような、良い体験だった。

僕もこんなふうに、人の感情を動かし、人を行動させられるような文章を書きたい。

自分が体験した気持ちや、行動を起こすに至った理由が知りたくて、今回この記事を書いた。

さらにどんどん良い文章を読んで、盗んで、人を動かしていきたい。

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