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あらかじめネタを考えておくよりも、全くのまっさらから描き始めた方が筆が進むのはなぜか。

あらかじめネタを考えておくよりも、全くのまっさらから描き始めた方が筆が進むのはなぜか。

こういう文章を書いていくときに、あらかじめ題名やテーマをかんがえて「さあ書くぞ!」とやるとなかなか進みません。でも、今からこれを書こう、と考えてその場で書き始めると、結構文字数g赤桁りします。それはなぜでしょう。

はじめにテーマを決めてしまうと、思考が方にハマってしまうからだと思います。でもテーマをあらかじめ決めずに書いていけば、それについてだけではなくて頭の中を自由に使うことができるので、タイピングが捗るんだと思われます。

継続の天敵、ハードルが上がってしまうというのもあります。テーマが決められていると、それに対して良い結論を出さないといけないので感性に対するハードルgああがり、結果書き進めづらくなり筆が止まります。一方で結論を決めずに書き始めれば、自由に展開していけるからハードルgあひくく、どんどん書き進められます。

よって書きたいことをどんどん書いていったほうが、手が止まりにくくたくさんのコンテンツを生み出すことができます。くおりてぃが高いかどうかはあまり考えなくて良い。自分の頭の中を文字にすることができればそれでおkです。みづらい、読みづらいはあとで修正すればよし。自分の頭の中を率直に文字にして言ったほうが、文章作成へのハードルがさがり手が止まりにくくなります。

なにかその場で考えてとりあえずタイピングを始める。この方法だと、始めるのが億劫になりづらく、スムーズにタイピング作業をスタートできます。やっているうちに集中力も上がってきて、どんどん文章を作っていくことができます。

これは完璧主義を脱するというか、妥協の観点も入ってます。あらかじめ書くことをしっかり決めて、それを順番に書いていったほうがそりゃ全体としてよくまとまったコンテンツになるかもしれない。けどそれだとけいぞくしづらいんです。これを書き終わったら次これを描かなきゃ、あと99記事…と考えながらやっていると、書くことへのハードルが上がってしまって途中で挫折する可能性が高まるんです。そこはちゃんとやれよ、ということなんですが、僕なんかは飽きっぽいですし気合いで継続するっていうのはたぶんできません。いままで気合いで継続しようとして挫折したことはいくらでもあります。で、そこで妥協として、書くことを決めないで書いていくっていうハードルを下げた方法をとってるわけです。結局継続できない方法よりも、完成度がひくかろうがとりあえず出来上がるならそっちのほうがよくない?という考え方です。このやり方は自分のことを信用しないスタンスに基づいています。じぶんがちゃんと何を書くかをしっかり決めて、それをきっちりこなしていくなどということができるわけがない。自分の能力を信じていません。できるんならそらそっちのほうがいいですよ。でもたぶんできないんですよ。だったらできる範囲のことをやった方が、できないことをやってやらなくなるよりはだいぶマシだと思うんですよ、ってことです。

この100か0かではなく、30とか25の道を取れるようになると、継続が容易になりますし、自己否定に陥りにくくなります。ポイントは自分の能力が低いと気づいても妥協点を探るようにすることです。100記事のテーマを決めて書こうとしたけどできなかった。だからやめる…ではなく、じゃあテーマを決めないで書いていけばとりあえずは前に進むんじゃないかと考える。それで書き上がったものの完成度が25だろうが15だろうが、何もやらないよりは明らかにいいはずです。妥協するというのは自分の能力の低さを認めることなので、じっさいかなり難しいことです。妥協ができないというよりは、自分の弱さ、できなさを認めることができないんです。しかしそれを認めずに、そのまま突き進んでも結局挫折します。だってやることと能力が見合ってないんだから。自分の能力の低さに気づいてしまっても、あー俺ってこれはできないんだなーと素直に認める。たとえこんなこともできなかったのかとショックだとしても、だってできないんだからしょうがないじゃんという話ですし、いま知れて良かったじゃんということでもあります。自分のキャパを知らずにまたできないことをやって結局挫折して時間を浪費するよりは。自分に見合ったハードルを下げたほうほうがないか探る。そのほうが建設的です。

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