実践に勝るもんがない
やってないとわかんないんだもん結局。
いろいろ勉強しても、自分がやったことよりも価値があるものはない。
頭でいろいろ考えているよりも実践したほうが良い。
ある程度はコンテンツが溜まってないと検証のしようもないよ。
とりあえず作って出す。
クソコンテンツでももはやいい。
無いよりはいい。
それにクソかどうか判断するのは自分じゃなくて他人。
自分としてはテキトーに作ったコンテンツでも、世間からは意外にも高評価なんてことはしょっちゅうある。
出してみてこそクソかどうかがわかるし、本当にクソだったとしても、それがわかれば直すことができる。
こういう内容や出し方ではダメなんだとわかる。
出さないと、実はクソだったということにも気づけない。
一生懸命作って出して実はクソだったと気付くのは辛い。
でもそれは出してみないとわからない。
最初はクソでも直していける。
空振りが怖くてホームランは打てない。
バットを振り続けるしかない。
集客→教育→販売の流れが〜とか言ったって、やってみないとわかんないよ結局。
どうやったら人の欲求を生めるのか?と考え続けてても、自分の実践をもとにした結論じゃないとたぶん納得しない。
どうやったら欲求を生めるのか?を考えて考えて結論が出るまで作業をしないんではなく、
とりあえずこうやったら欲求を生めるんじゃないかな?という仮定を出して、一回実際にやってみる。
それでダメだったらまたこの方法だったら欲求を生めるのでは?と考えてまた実践。
それを繰り返して、多少結果が出た方法を採用して、またそれをちょっとずつ変えていって最適化していく。
考え尽くしてから動き出すよりも、とりあえずでも動き出しちゃった方がいい。
欲求を生む方法なんて、明確な答えがあるのかどうかもわからないし。
出してみて反応を見てこういうもんかと理解して、変えていくのが一番。
だから1回目の出すをとにかくやらないと何も始まらない。
とにかく作って出す。
作って出す、作って出すを繰り返す。
繰り返せなくなっちゃったとき、継続できなくなっちゃったときは、継続できることをやる。
画像付きのブログ記事が書けないなら、文章だけでも書く。
いまの自分が継続できることをとにかく続けてコンテンツを溜める。
綺麗にまとめようとしなくていい。
綺麗にしたかったらあとでやればいい。
自分が思ったことでも、日常的なことでもいいから、とにかく文章化していく。
他の人から見てもつまらないんじゃないかとかは初期段階では考えなくていい。
自分があとで見て、結構いいこといってんな俺とかなるコンテンツだったら、少なくとも自分1人の役には立つ。
だし自分の役に立ってるなら多分他に良いと思ってくれる人もいるはず。
もし1人でもそれを読んで影響をちょっとでも与えられたら、やった意味はある。
アクセスが本当にゼロってことはまあそうそうない。
誰かは自分の文章を見て、何かを思う。
そういうコンテンツをちょっとずつでも積み重ねていく。
そのうちどれかがたくさんアクセスがきたり、意外とGoogleで上位表示されたりする。
そしたらその成功した要因を次のコンテンツ作りに採用する。
まったくの無の状態よりは成功しやすくなる。
またやってみて、結果を見てまたやっていく。
人の言うことちゃんと聞ける人は、こんな回りくどいことをやらなくても「こうしたらいいよ」というアドバイス通りやって、すぐ結果を出せるかもしれない。
でも僕みたいな人間は人の言うことを素直に聞けない。
結果はなかなか出ないかもしれない。
もっと早く人の言うこと聞いておけばよかったと思うかも知れない、というか確実にそう思うと思う。
でも現状、実践をし続ける以上に有効な方法が見つからない。
間違った方向に行っちゃったまま実践し続けてしまってるのかも知れない。
この時間をもっと正しい、もっと効率的な方法に充てればもっと簡単に結果が出るのかもしれない。
でも現状、自分が実践をしてみて、それで結論を出さないといけないと思っている。
すげー無駄なことをしているのかもしれない。
あとで振り返って、これマジ無駄だったな…と思うのかも知れない。
でも今はこれが無駄かどうかがわからない。
無駄じゃ無いかも知れない。
どっちかわからないなら、やるしかない。
世の中に出せば、反応が無いことも含めた反応をとることができるんだから、やらないよりは無駄じゃ無いんじゃ無いかと思う。